Little Players News

No.17 1999

暑い日が続いていますが、発表会まで1ヶ月少々となりました。暑さに負けないように張り切って行きましょうね!

♪ ベートーヴェンについてB ♪

ハイリゲンシュタットの遺書

 音楽家にとって耳が聞こえないというのは、どれほど苦しかったことでしょう。ベートーヴェンは26歳の時に風邪をひいたあとに初めて左の耳の聴力障害が生じたと記録にあります。この時以来、一生耳の病で悩まされ続けたのです。ベートーヴェンは人々に知られることを恐れて、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットの森にひっそりと暮らすようになりました。ハイリゲンシュタットとは「聖人の街」という意味だそうです。ここでベートーヴェンは32歳の時、有名な手紙、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きました。小さな窓を開けたら教会があって、その教会の音がしだいに聞こえなくなっていったのを悲観してペンをとったのだそうですが、自殺を前にして書かれたものではありませんでした。むしろ、耳の病に伴う精神的な危機を乗り越えた時に、ひとつの決算として書いたのであろうといわれています。家から、かなり歩いたところに、これも有名な“ベートーヴェンの小径”があります。細い小川に沿って続いているこの小径を散策しながら「田園交響曲」を着想し、作曲したのは38歳の時でした。ベートーヴェンは遺書の中に「私のかたわらにいる人が、遠くから聞こえてくる横笛の音や、羊飼いのうたう歌を聞いているというのに、この私の耳には何も聞こえなかったとしたら、それは、何という屈辱……」と書いたそうですが、「田園交響曲」を作曲した頃のベートーヴェンの耳には、小川のせせらぎの音も、美しい鳥の鳴き声もすでに聞こえていなかったようです。おそらく、風景を見ながら、それらの音たちを想像して作曲していったのでしょう。なんと過酷な人生だったのだろうと思います。

 音大生だった時、ヨーロッパ研修旅行の自由行動でハイリゲンシュタットを訪れ散策したのですが、ベートーヴェンが住んでいた“ベートーヴェンハウス”の数の多さに驚きました。「それは、ベートーヴェンの憂鬱な気分と不安、それにどこに住んでもつきまとう不満が、ベートーヴェンに絶えず住居をかえさせたからである。」といわれています。それぞれの家に作品やエピソードにゆかりのある名前がつけられています。