Little Players News
No.21 1999年 12月
今年も残り少なくなり、2,000年が近づいてきました! 今世紀最後を大切にお過ごしください。
バッハ
「バヘハモベ…」の最初は「音楽の父」と呼ばれているバッハです。今月はバッハの年表をざっと紐解いてみましょう。
ヨハン セバスチャン バッハの生涯
今から314年前の、1685年3月21日、ドイツのアイゼンナッハに生まれまたバッハは、8人兄弟の末っ子で、幼い時から父にバイオリンを学びました。バッハの一族からは10人もの音楽家が出ているほどの音楽家一族なのです。
ところが、10歳の時に父を亡くし、教会のオルガン奏者である長兄に引きとられて兄からオルガンとハープシコードを習い、正しい演奏の基礎を学びました。
その後18歳の時にアルンシュタット教会のオルガニストとなりこの頃から作曲を始めたと言われています。
32歳の時にはケーテンの宮廷楽長となっています。室内楽をはじめ、オーケストラ、独奏曲などの名曲は、この時代に作曲されました。
38歳の時には、ライプチッヒの聖トマス教会のカントルという音楽監督を勤めました。しかし教育と演奏だけの仕事だけでも人並みはずれて忙しいのに毎週の礼拝のために週に一度は新しいカンタータ(バロック時代の声楽曲)を作曲しなければなりませんでした。また葬式や結婚式のためのモテットや聖金曜日のための受難曲を作る必要がありました。
バッハはこうした仕事を精力的にこなしていきました。なかでもバッハが力を入れたのはカンタータの作曲で、実に300曲近いカンタータを作曲されたといわれています。しかし、バッハの生きているうちにはほとんど出版されず、アンナマグダレーナ夫人が丹念に写譜していなければ、その大部分は失われてしまったでしょう。
1750年7月28日に脳溢血で65歳の生涯を終えたバッハの生涯は、神に対する深い信仰と、そして何よりも音楽に捧げられました。
と、駆け足でバッハの生涯を見てきましたが、生まれてから亡くなるまで音楽づくしですね。来月はバッハの作品について書きたいと思います。2000年はバッハ没後250年にあたります。