Little Players News
No.32 2000年 11月
日も短くなり冬の足音が聞こえてきましたね。
バヘハモベより「ヘンデル」
発表会の曲紹介などで、しばらく中断していた音楽家シリーズですが、みなさん、覚えていますか?前回は誰でしたか?そう、バッハでしたね。 バッハは「音楽の父」と呼ばれていますが、それに対して、「音楽の母」と呼ばれているのが、ヘンデルです。 実は、”バヘハモベ…”の「へ」がそのヘンデルなのです。ヘンデルも男性なのですが…
バッハとヘンデル
わずか一ヶ月前後して、生誕地もわずか100km程の距離に、同じドイツの中産階級から大天才バッハとヘンデルが並んで生まれたのは、不思議な偶然ですね。 この両巨匠は、会うこともなく、気質も環境も作風も全く違うのに、その音楽の偉大さにおいては双生児のような存在だったといえましょう。バッハが対位法技巧の作品を出したのに対して、ヘンデルは旋律と和声とに堂々とした力を発揮した作品を残しました。
ヘンデルの生涯
ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルは、1685年2月23日ドイツのハルレに生まれました。父親は理髪師兼外科医でしたが、ヘンデルは幼い頃から音楽が好きで、父親の目をぬすんでは夜ごと屋根裏に通い、そこにほうりこまれていたクラヴィコードを弾いたといわれています。7歳の頃に宮廷礼拝堂のオルガンをひそかに弾いていたところ、ワイセンフェルス公の目に留まり、それからは公然と音楽が学べるようになりました。 11歳の時にベルリンに演奏旅行をして、「神童」と人々の話題になりました。 ヘンデルはその素晴らしい音楽故に認められ、それ故に妬まれもし、ハンブルクを去ることになりましたが、彼の音楽に対する激しい情熱は、イタリアでの歌劇、ロンドンでの数々の作曲と精力的な音楽活動となって表れています。35歳の時に最初のオラトリオ「ヘステル」を作曲してからは、新しい境地開拓を模索し数々の失敗を繰り返しながらも、情熱は衰えず、53歳にようやくオラトリオへの専心という形で実を結び、それから18年間の間に15曲ものオラトリオを作りました。演奏会が迫害を受けたり、全盲となってしまったりという苦難の中、音楽に対する情熱と、“快活で正直で頑固で独立的”という性格で、音楽を続け、74歳で世を去ったのは公演のわずか8日後だったという事です。