Little Players News
No.34 2001年 1月
いよいよ21世紀の幕開けですね! 素敵な年になりますように。
バヘハモベより「ハイドン」
今月は「交響曲の父」と呼ばれているハイドンについてお話したいと思います。ハイドンの音楽はよく、整った音楽だといわれています。メロディーも、形式も楽器の使い方も美しく、全体に深味とつりあいがとれています。それは、ちょうど、高い人格を持った老紳士が、肩のこらない気分で若者に話しかけているといった感じを受けます。実際にハイドンは、そういう人であったらしく、当時の人々は「パパ ハイドン」と呼んでいたのだそうです。
ハイドンの生涯
フランツ・ヨゼフ・ハイドンは、1732年3月31日、オーストリア東部のハンガリア国境に近いローラウという村で車大工の第二子として生まれました。幼い頃に音楽の才能を認められて、8歳の時にウィーンの聖ステファン教会の少年合唱隊に入り、働きながら教育を受けたのです。17歳の時、声変わりのためボーイソプラノとしての役を果たせなくなり教会をやめました。作曲の勉強をしながら貧しい生活を送りますが、バイオリンもクラヴィーアも十分身についていたハイドンですので、しだい弟子の数も増えていったようです。1755年、23歳の時には最初の4重奏を作って、作曲家としての地位を固めていきました。彼の名声はやがて全ヨーロッパに広まり、ウィーンへ出かけるごとに多くの音楽家はハイドンを訪問しました。
ハイドンとモーツァルト
モーツァルトとの親密な交際は1781年(ハイドン49歳、モーツァルト25歳)頃からなされていて、この2大巨匠は性格において全く異なっていますが、作品の上にお互いに良い影響を与え合いました。モーツァルトの35年という短い生涯はハイドンの24歳から59歳までの30年間に当たります。ハイドンはモーツァルトの師的な存在であると同時にモーツァルトの影響を受けた後輩的な存在といった面もみせていますので、音楽史において切り離して考えることができません。
晩年のハイドンは、1798年オラトリオ「天地創造」、1801年オラトリオ「四季」を発表してヘンデルの作品に劣らぬ高さを示しました。ハイドンは1809年5月31日に77歳で安らかにこの世を去りました。