Little Players News

No.36 2001

だんだん日も長くなり、春の訪れが待ち遠しいですね。

今月はバヘハモ…の“モ”。ハイドンの次にくる音楽家は『神童』と呼ばれているモーツァルトです。

モーツァルトの生涯

ハイドンとモーツァルトは双生児的存在であるといえましょう。同じオーストリアの東のはしにハイドン、西のはしにモーツァルトは生まれ、モーツァルトはハイドンより24年おそく生まれ18年先に亡くなるほど短い生涯でしたが、天才型のモーツァルト、堅実型のハイドン、この2人の力が合わさってソナタとシンフォニーの形式が確立されたのでした。

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年1月27日にオーストリアの西端、アルプス山麓の小都市ザルツブルグに生まれました。父レオポルトは優れたヴァイオリン奏者で、その地の大司教のもとに作曲家兼楽長として勤めていたため、モーツァルトは幼い時から音楽教育に恵まれ、5歳にはピアノとヴァイオリンを弾きこなし、作曲まで始めました。そして25歳まで父レオポルトがヴォルフガングを連れ、ヨーロッパ各地の宮廷にデビューさせたのでした。26歳で歌手コンスタンツェと結婚しましたが、家計が思わしくなく、常に貧しい生活でした。

みなさんは「アマデウス」という映画をご覧になったでしょうか?ユーモアに溢れ、天真爛漫、神童、天才モーツァルト、映画「アマデウス」に描かれているモーツァルトのイメージはこんな風でした。そして父との確執。父レオポルトは今で言う「ステージ・パパ」であり、やり手のマネージャーでした。アマデウスは神童としてヨーロッパ中を巡りました。その演奏料を財源としていたので、6歳から25歳までの間に11回の演奏旅行をして、東はウィーン、西はパリ、北はロンドン、南はイタリア各都市に足跡を残しました。そのため多くの病を患い、才能をも浪費しました。さらに父親が人間としての生き方を教えなかったために、彼は父親が死ぬとまともに生きていくことが出来なくなってしまったのです。 モーツァルトは1791年12月5日、チフスにかかり35歳という若さで世を去りました。 葬儀は費用がなかったため最下層のもので何の目印もなく共同墓地に葬られ、モーツァルトの墓の所在は永遠にわからなくなってしまいました。 現在ウィーンの中央墓地にあるモーツァルトの記念碑の所に彼の遺体はありません。

この世の天才とは思えないほど彼の最期は惨めでそして悲しいものでした。