Little Players News

No.38 2001


新緑が美しい季節ですね。清々しい空気を吸ってリフレッシュ!

今月はモーツァルトの妻、コンスタンツェ(1762〜1842)についてお話したいと思います。

コンスタンツェ

♪コンスタンツェとの結婚

モーツァルトはコンスタンツェの姉のアロイジア・ウェーバーへの失恋の後、三女のコンスタンツェと恋に落ち、婚約しました。 しかし、父レオポルド、姉ナンネルは、この結婚には反対でした。 父との関係も一時的には危機的状況まで発展しましたが、最終的には父が折れ1年越しの恋を実らせ、結婚したのでした。 結婚式の立会人は8人だけでその中に父の姿はありませんでした。 モーツァルト26歳、コンスタンツェ20歳でした。 その3日後の手紙には、『僕らが結ばれた時、妻も僕も共に泣き出してしまいました』と書かれています。 1年間という時間はその時の二人にはとても長い時間だったのでしょうね。2人の間には6人の子供が生まれ、2人の男の子が成人しました。 貧困と彼女の病弱に悩まされながらも、二人の明るい性格で、陽気で幸福な家庭だったそうです。

♪コンスタンツェは悪妻?

モーツァルトの妻のコンスタンツェは長い間悪妻とされてきました。 でも、実はそうではないという説もあります。 彼女の浪費がモーツァルトの命を縮めたとか、夫の音楽家として才能を認めなかったとか、色々な説がありますが、どうやら浪費癖はモーツァルト自身であったようです。 日本では、財布のヒモは妻が握っている家庭が多いですが、欧米では一般的に夫が握っているとのことです。 モーツァルト亡き後は、コンスタンツェの才覚により経済的自立が出来たことからも、モーツァルト家の財政が破綻したのはモーツァルトによるものということは明らかです。また、芸術家の妻で夫の才能を認めなかった人は少なくなく、モーツァルトが敬愛したハイドンの妻も夫の才能を終生認めなかったし理解しようとしませんでした。 結婚後、彼の音楽作品が成熟し多くの傑作を生み出していることから考えても、コンスタンツェはモーツァルトにとって、良き妻であったと想像されますね。 モーツァルトの死後、コンスタンツェはデンマークの外交官ゲオルク・ニコラウス・フォン・ニッセンと再婚しましたが、 ニッセンは妻の前夫、モーツァルトの資料を編纂しました。 コンスタンツェが本当に悪妻であれば、そのような事もなかったのかもしれません。