Little Players News
No.40 2001年 7月
夏本番という季節がやってきましたね!
さわやかな音で気持ちよく演奏して、暑さを吹き飛ばしましょう。
バヘハモベの“べ”。モーツァルトの次にくる音楽家は、「楽聖」と呼ばれているベートーヴェンです。
ベートーヴェンの生涯
しかめっつらをしたベートーヴェンの肖像画、 今も学校の音楽室にあるのかしら? 最近ではカラオケの宣伝にも出演しているようですが、 ベートーヴェンをご存知無い人はいないと思います。1770年、ベートーヴェンは西ドイツのボンという町で生まれました。父ヨハンは宮廷楽団のテノール歌手でしたが、大酒のみで、生活は大変に貧しかったようです。ベートーヴェンに音楽の才能があると知った父は、ベートーヴェンに音楽を勉強させ始めました。それはベートーヴェンの為ではなく、彼をモーツァルトの様に、神童として売り出してお金儲けをするためでした。 その為にデビューしたときは、本当の年齢よりも2歳も若くごまかしていたのです。 そんな理由はともかく、ベートーヴェンは音楽家として成長し、21歳の時にハイドンに招かれて音楽の都ウィーンに移り住みました。 次第に作曲家として名を知られるようになり、発表する作品はいずれも評判が良かったのです。ところが30歳の頃から耳の病気がはじまり、音楽家であったベートーヴェンは、耳が聞こえない事を隠しつづけ、とても悩みましたが、31歳に有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いてからは、気持ちも吹っ切れて作曲家としての第2期へと移っていきます。「遺書」と言われていますが、それは生涯、音楽家として生き抜こうとするベートーヴェンの強い意志を現した文章です。機会があれば是非読んでみて下さい。「運命」「田園」などの交響曲は、この頃ハイリゲンシュタットの美しい森を歩きながら作曲されたものです。45歳の頃は聴覚はほとんど失われ、霊感だけに頼った創作活動の時期と言われていますが、華やかな演奏会が行われ、生涯で最も輝かしい時期でもありました。 その中で作曲されたのが有名な「第九交響曲」です。53歳の時の作品です。 耳が全く聴こえなくなっても、音楽家として立派に人生を全うし、素晴らしい多くの作品を残したベートーヴェン。彼は1826年3月26日、56歳で亡くなるまで一生を独身生活で通しました。 全ての情熱を音楽に捧げた人生だったと言えるでしょう。