Little Players News
No.58 2003年 1月
新年あけましておめでとうございます!
今年も、皆さんにとって良い年でありますように。
ロマン派音楽 G
〜 リストとショパン 〜
フレデリック・ショパン(1810-1849)とリストはポーランドとハンガリー出身のピアニスト同士という、いわばライバルの立場にありました。ショパンは、リストより1歳年上です。
20歳頃、芸術家や貴族の集まる音楽と社交の中心パリで、二人は出会い、交友もさかんになりました。最初は、ショパンもリストと親しくしていましたが、だんだんと、ショパンの方から距離をおくようになったといわれます。ショパンは、自分の曲を編曲されるのを嫌っていましたが、リストは他の作曲家の曲を編曲して、演奏するのが得意でした。リストはショパンに対して、熱烈な崇拝を示しましたが、ショパンはリストを警戒していたようです。
しかし、ショパンは、最高傑作の一つ「練習曲作品10」の12曲をリストに、「練習曲作品25」の12曲をリストの内縁の妻、ダグー夫人に捧げています。この練習曲集は技巧的に難曲ぞろいで、技巧派のリストに対する挑戦状のようにもとれますが、リストはすばらしい技巧でそれらを弾きこなし、ショパンもその素晴しい演奏に驚かされました。リストはショパンの曲を愛し、至る所でショパンの曲を演奏し、それが、結果的には宣伝効果を生みました。リストはショパンの死後もショパンの作品を好んで演奏しました
リストの功績
今日のいわゆる「ピアノ・リサイタル」という形式はリストによって完成されました。それまでの演奏会というものは様々な聴衆の欲求をみたすために、独奏から独唱、室内楽、協奏曲、管弦楽曲が入れ替わり立ち替わりで演奏されるものでしたが、初めてピアニストたった一人だけで演奏会を行ったのがリストでした。そのため、彼のピアノ演奏はオペラや交響曲などのフレーズから自分なりに即興的にまとめあげたものが多いのです。ピアノ一台だけで表現するというのは相当の技量と表現力がなければできませんが、彼はベルリオーズの「幻想交響曲」のような大編成の管弦楽をピアノソロ用に編曲し、ピアノ一台でそれだけの表現ができることを見事証明したのです。