Little Players News
No.61 2003年 4月
春の訪れを告げる可愛いクロッカスが庭に咲きました。いよいよ新学期ですね!
ロマン派音楽 I
バヘハモベウロシュメショシュリワブ…
バヘハモベの最後はブラームスです!
19世紀はロマン主義音楽の時代でした。しかし、ブラームスはベートーヴェン以来の伝統を受け継ぎ、ロマン的な面から新しい古典音楽、「ロマン的古典主義」を打ち立てました。バッハ、ベートーヴェンとともにドイツ3大B(頭文字がBの音楽家)の1人です。
ブラームス
ヨハネス・ブラームスは、1833年北ドイツのハンブルクで、楽団のコントラバス奏者の子として生まれました。マルクスゼンという先生についてピアノを学び、15歳で初めての演奏会を開催しました。ピアニストになったブラームスは、ハンガリアのヴァイオリニスト、レメニーと一緒に演奏旅行をし、リストやシューマンに会いました。シューマンにその才能を見出されたブラームスは、シューマン没後も終生その夫人クララを支えました。ブラームスの音楽の特徴は、重厚。性格が音楽に反映されて、深刻で知的です。当時流行していた歌劇にはふれず「歌劇を書くことは結婚するのと同様に私には難しい」と言い、生涯結婚しませんでした。結婚しなかったのは、クララに対する愛情があったからとも言われています。1897年に64歳で永眠。多くの楽聖たちが眠るウィーン中央墓地に埋葬されました。
交響曲第1番
初めての交響曲を書いたのは43歳の時。なんと完成するのに21年もかかりました。「ベートーヴェンのような巨人の足音を後ろに聞きながら仕事をするのは大変なんだ。」というブラームスにとって、ベートーヴェンは大きな存在でした。この作品は、ベートーヴェンの伝統をそのまま継いだので、ベートーヴェンの"第9"に継いで"第10"といわれるほどです。
ハンガリー舞曲
ヴァイオン奏者のレメニーとの演奏旅行で、ハンガリー=ジプシーの音楽がいかに大衆に愛されるかを知ったブラームスは、4手連弾曲として21曲のハンガリー舞曲を作りました。大評判となりましたが、ジプシー達に著作権侵害で訴えられてしまいます。幸い「編曲」としていたために裁判には勝ったそうですが、この事は、後のドボルザークのスラブ舞曲集にも影響を与えているそうです。