Little Players News

No.93 2005 12月

2005年も、今月で終わりですね。皆さんにとってどんな1年でしたか?

あなたにとって音楽とはピアノとは? E 

今月は中学1のMさんに、ご自身のピアノ歴を語っていただきました。

「私とピアノ」
By Mさん

 西川音楽教室に通って、もう9年目になりました。 先にピアノを習っていた兄の影響もありますが、幼稚園の頃から、幼稚園の先生になりたいとう目標があって、母に頼んで習うことになりました。 間もなく、私より少し後に習った同級生の子と良い意味でライバルになり、張り合って、たくさん練習をしましたが、小学2年生になる時に転校してしまいました。親友でもあり、良きライバルでもあった彼女の転向に悲しみ、練習にもあまり身が入らなくなってしまいました。 そんな中で迎えた、私にとって3回目の発表会。 私は、サン=サーンスの『動物の謝肉祭』の中から「序曲」と「ライオン」を弾くことになりました。 いざ練習を始めてみると、全く歯がたたず、私はようやく普段の練習の足りなさに気が付きました。 それからは、真剣に取り組んで発表会も無事成功し、この時から趣味はピアノに変わりました。 5年生の時にはチャイコフスキーの『くるみわり人形』から「こんぺい糖の精のおどり」と「花のワルツ」の素敵な2曲を大勢の前で弾くことなり、大成功の年だったと思います。 しかし、6年生になるにつれて学校のテストも難しくなってきて、またレッスンがある時は友達と遊べないし、ピアノの練習がめんどうだと感じる様になってしまいました。 中学になったら部活も忙しくなるし、ピアノはやめようか、などと考えた時もありました。そして、小学生最後の発表会。私は初めて3部に出ることができ、グループリーダーも任され、閉会のごあいさつも担当しました。ただ、ソロ曲の「ジプシーの踊り」の調性が変わる所が思うように弾けませんでした。せっかくの小学生最後の発表会だったのに、と思うと、悔しくてたまりませんでした。その悔しさがバネになり、中学生になってからは、ピアノをやめようという気持ちはすっかり消えてしまいました。そして今年。3部でダカンの「かっこう」という曲を弾くことになり、また、ハンドベルからコーラスに変わりました。初めてアナウンスも任され、大変な年でしたが、努力した甲斐があって速い曲でも人前で弾けるようになり、悔いも残らない発表会でした。部活もテストもあり、時々は練習を怠ってしまう時もありますが、レッスンはとても楽しいです。やめなくて良かったと心から思っています。これからも大変な時もあると思いますが、小さい頃からの夢を叶えるためにも、くじけないで、ずっとピアノを頑張っていきたいと思います。


(先生より)

Mさんが、お兄ちゃんと一緒に教室に来た頃の事を今でもはっきり覚えています。悩み事など感じさせないMさんですが、赤裸々な文章を読んで、ちょっと驚きました。ピアノって奥が深く、年数と共に面白くなったり、難しくなったりします。時には壁にぶつかる事もありますが、負けずに乗り越えられるよう、先生も応援しています。