Little Players News

No.166 2012 1月

新年あけましておめでとうございます。2012年も明るく元気に行きましょう!
今年の発表会は9月16日(日)を予定しています。

今月は、ロシアの作曲家で当時最も偉大なピアニストでもあったラフマニノフ(1873 ロシア~1943アメリカ)についてお話したいと思います。

セルゲイ・ラフマニノフ
20世紀前半の音楽界に偉大な業績を残したラフマニノフ。 ピアノ曲、交響曲、室内楽、オペラ、歌曲、合唱曲など様々な分野で名曲を残しました。 とりわけピアノ曲は、ラフマニノフ自身がピアノ史上最高のピアニストと言われ、また12度(ドから1オクターブ上のソまで)届く大きな手の持ち主であった事から、演奏するのがとても困難だと言われています。 ロシア革命によりスイスに亡命後、ピアノの達人としてヨーロッパやアメリカで活躍しました。 

前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2「(モスクワの)鐘」
ラフマニノフ19歳の1892年に書かれたこの曲は、ピアノ曲中、最大のヒット作であり、出世作ともなりました。 曲はクレムリン宮殿の大小様々な鐘の音から発想を得たと言われ、「鐘」という愛称で親しまれています。 世界中の聴衆に愛され、また有名なピアニストたちが競って演奏しました。 当時、お金が無かったラフマニノフは、この作品をわずか40ルーブル(約160円)で出版社に売り渡してしまい、出版社だけが大儲けをしたそうです。 また、ラフマニノフのコンサートでは、この曲を弾かないと聴衆が席を立たなかったとか。 後年に至るまで、あまりにも多く演奏したため、ラフマニノフ自身はこの前奏曲に嫌悪感を抱いていたというエピソードで知られています。

ピアノ協奏曲第2番 ハ短調
1897年、ラフマニノフ24歳の年にサンクト・ペテルブルグにて交響曲 第1番が初演されましたが、聴衆の手厳しい酷評を受けて記録的な大失敗に終わってしまいました。 これによりラフマニノフは自信喪失となり、やがて重度の神経衰弱に陥っていきます。 ラフマニノフを心配した周囲の人たちの紹介で精神科医ニコライ・ダーリに出会いました。 ダーリは「あなたは素晴らしいピアノ協奏曲を作る」という暗示療法を行い、ラフマニノフは徐々に自信を取り戻していったということです。 そうして書かれたこの作品は、ラフマニノフ自身のピアノ演奏で大成功を収めました。 曲はダーリに献呈されました。 この成功によって大作曲家としての地位を確立しました。