Little Players News

No.172 2012 7月

北海道の夏は短いですが、アウトドアを楽しみながら、ピアノも楽しみましょう!。
今年の発表会は9月16日(日)です。

今月は、「モルダウ」を作曲したスメタナ(1824~1884)についてお話したいと思います。

べドルジハ・スメタナ

スメタナは、チェコを代表する作曲家です。 プラハでピアノと作曲を学んだ後、指揮者や作曲家として活躍しました。 当時のチェコは、現在のように独立した国家ではなく、オーストリア帝国の強い支配を受けていました。 そのため、母国語を話すことさえも禁じられていました。 このような状態が長く続いたため、自分たちの国の言葉で話そう、独立した国を作ろうと願うようになっていきました。 スメタナは、人々の願いを音楽に託し、「我が祖国」をはじめとする祖国への思いに満ちた作品を書きました。 「モルダウ」の作曲に着手した頃、スメタナは耳の病が悪化し、ベートーヴェンと同じように聴覚を失ってしまいます。 1884年に亡くなり、モルダウ河とプラハの街を見下ろす高台にある城“ヴィシュフラド”のすぐ近くの墓地に眠っています。

交響詩「モルダウ」

日本人にとっての富士山のように、モルダウ(ヴァルダヴァ)河はチェコの人にとって祖国の象徴です。 この曲は、皆さんもきっと聴いたことがある事と思いますが、6つの交響詩からなる連作交響詩「我が祖国」の第2曲目です。 心が洗われるような美しさと、祖国を愛する力強い音楽が魅力です。

プラハを訪れた思い出

音楽を勉強していた学生の時に、2週間のヨーロッパ研修があり、初めて訪れた国がチェコのプラハでした。 どこで写真を撮っても絵になる、それほど美しい国でした。 街を流れるモルダウと高台にそびえ立つ城は、プラハの象徴だということがすぐにわかりました。作曲科の先生が、スケッチブックを取り出し、その美しい風景を描いていました。 そして、古城で「モルダウ」をピアノで演奏してくださいましたが、その美しい旋律に学生たちは、みな心を奪われて聴き入りました。 まだ日本人がそんなに簡単に行く国ではなかったのか、入国が他の国より厳しかったですし、物珍しそうな好奇な目で見られたのを覚えています。 モルダウ河には広大な橋があり、アクセサリーや絵などを出店している人が沢山いました。