ピアノを勉強するうえで、ショパンとリストは重要なレパートリーを占めると思いますが、この天才は同時代に生き、良きライバルでした。ショパンの方が1歳年上ですが39歳で亡くなったショパンに対し、リストは75歳まで生きています。
●フレデリック・ショパン(1810~1849) ポーランドのワルシャワ生まれ
●フランツ・リスト(1811~1886) ハンガリーのライディング生まれ
ショパンは、ほとんどがピアノ作品で美しく完成度の高い曲を書きました。「ピアノの詩人」といわれています。リストは75歳まで長生きしたので音楽の範囲や作品数が桁違いに多いです。圧倒的なピアニズムで聴衆を魅了したリストは「ピアノの魔術師」といわれました。
ショパンとリストが出逢ったのは1832年、ショパン22歳、リスト21歳の時です。 この時、リストは既にピアニストとしてヨーロッパ中を演奏して廻る人気者でした。そして、ショパンはパリでデビューしたばかりでした。ジョルジュ・サンドをショパンに紹介したのはリストだといわれています。
内向的で神経質なショパンは小人数のファンを集めたサロン・コンサートを、ピアノは「プレイエル」を好みました。大勢の大ホールで弾くのを嫌いました。大変な美男子だったリストは大ホールに満員の客を集め、大音量と超絶技巧に失神する女性客が続出だったそうです。ピアノは「エラール」(後のベーゼンドルファー)を好みました。
リストはどんな難曲でも初見で弾けると豪語し、実際にグリーグのイ短調ピアノ協奏曲をグリーグの前で演奏し、驚かせたそうです。しかし、ショパンの練習曲は初見で弾くことが出来ずに、パリから姿を消し、数週間後にショパンの前で完璧に弾いてショパンを驚かせました。
ショパンは、リストのピアノ技巧は素晴らしいと思っていたものの、作曲家としては認めていない部分がありました。その頃のリストはオリジナル作品よりも他の作曲家の作品を編曲したものが多かったからでしょう。リストはショパンの曲を愛し、あちらこちらでショパンの曲を演奏し広めたためにショパンは有名になったといわれていますので、ショパンはもう少しリストに感謝して欲しかったですね。
ショパンが亡くなってから、リストはピアニストから作曲家に専念し、素晴らしい作品を書いたので、ショパンが長生きしたら、きっと考えを改めていたかも知れません。残念…。