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マイホーム&ピアノ


 

懐かしい写真が出てきた。
しかし、13年でこんなに人って変わるものなのかという程、
特にはじめさんは若かったねと、皆で大笑いした。
平成5年12月15日に、地鎮祭をしてマイホーム作りが始まった。
あずましい環境でピアノ教室が開けるようにと、
はじめさんが家を建てる決断をした時は本当に驚いた。
当時はまだ20代で、相手にしてくれるメーカーもなく、
親身になってくれたのが、大成建設Palwoodという大手のメーカーだった。


 

写真を見て、当時の大工さんが懐かしそうに話してくださった。
図面を見たら、誰もが「無理!」と言って手を引いたのだという。知らなかった…..。
ボイラー修理の方も写真を見て、「これは逃げるわ」と。(^^;
吹き抜けが大流行の時代においても難しい設計だったのだそうだ。
考えてみたら、玄関、レッスン室、寝室と3箇所もあるのだ。
そして、唯一建てられる人が入院中のN氏だった。
「図面を見せられて、余市へ行ってくれ」と頼まれたのだそうだ。
基礎が終わってから、雪の深い時期に大工さんが現場に来ては、
半分は雪跳ねに追われていた。私は毎日、お茶とお菓子を持って
大工さんにお会いして、現場を見に来ていた。
ちょっとの時間でも寒くて寒くて凍えそうだったのに、大工さんは大変だなぁと思った。


 

玄関をアーチにしたいというのも、散々「無理っ」と言われたが、
何故か希望通りアーチになった。
大工さんが綺麗なアーチを作っているところを見て感動した。
鉛筆でアーチが描かれていて、それに沿って綺麗に削られていくのだ。
私たちが「ぎぃちゃん」とニックネームを付けていた大工さんは、
7年前に亡くなったのだそうだ。

13年間、ずっと失敗したと思っていたのが家に入ってすぐの暖房のパネルの位置。
ここに生徒さんが、しょっちゅうぶつかりゴーンと音を立てるのだ。
仕方が無いと13年間も思い続けてきたのに、今日一日で解決された。
パネルは廊下に移動されていて、レッスン室の壁に穴を開け見事に収まっていた。
「流石に職人さんは凄いねぇ~」と、再びはじめさんと感動して見入っていた。

今日はパネルの移動と修理。今後はボイラーの交換を考えなくてはいけないようだ。
数十万はかかるのだそうだ。頭が痛い…..。

みかこ

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みかこ