Categories: -

膝蓋骨脱臼と亜脱臼 2

膝の「亜脱臼」を起こしても歩けたのに対して、「脱臼」をすると激しい痛みに襲われ、私の場合は全く歩くことは出来ませんでした。調べてみると、やはりほとんどの人がそうみたいで、救急車で病院に運ばれる事が多いようです。

結婚式の3週間前に初めて右膝を脱臼した。いつもはスカートなのに休日で珍しくジーンズを履いていた。膝を触ってみると、明らかに膝の形が変だ!救急隊の人に「幸い近くに緊急病院があります」と言われたが、これが不幸の始まりであった。

思い出してみても謎な事ばかりだ。レントゲンを撮る時に私は膝がどうなっているかを見て、その形に驚いた!そして、レントゲン技師たちに「これは酷い!こんなのは見た事がない」と言われたのだ。医師には「結婚式どころではない。膝は大変な事になっている」とダメ押しされた。

いま思えば、どんなに藪医者だったとしても、膝を脱臼している事くらいは分かっていたのだと思う。分かっていて、レントゲン技師たちも口裏を合わせたのだろうか?医師は、「明日、麻酔を打って整復してみよう」と、はっきり言った。何故、すぐに整復しなかったのか?できなかったのだろうか?

あまりの痛さに、のた打ち回っていると、患者さんたちが気の毒がって「どうしたの?交通事故かい?」と聞いてきた。しかし、そんな事にも答えたくない程の激痛。医師が来て、乱暴にモルヒネを打った。痛みは消えたが、それも30分くらいしか効果がなかったような気がする。モルヒネは2回打たれた。男性の看護師さんがベッドに来て「膝を脱臼しているから痛むのです。ここを出て処置を受けたほうが良い」と。民間救急車まで手配してくれた。医師はカンカンに怒っていた。男性看護師さんは辞める覚悟だったのかも知れない。そして、玄関まで送ってくれたのだ。それから間もなくして、手稲のS病院は無くなった。それにしても、あまりにも恐ろしい出来事だったし、精神的な苦痛も受けた。あの時、あの医者を信じてあのままあそこに居たら、とんでもないことになっていただろう…。

手稲から豊平の叔母の家まで民間救急車で移動したが、車の振動でさえ痛くて青ざめていた。翌日の朝まで脱臼したままだった。叔母の紹介で記念病院に行った。K先生は、話をしながらあっという間に整復してくれたのだが、痛みが瞬時に無くなり激痛から開放されたのには驚いた。事情を話すと二日後に手術を入れて下さり、無事に3週間後に結婚式を挙げられたわけだが、あの時はどんな手術だったのだろう?その記憶があまりない。手術中に会話が聞こえていたから全身麻酔ではなかった。

当時の術式は今とは全く違うものだったようだが、それでも15年間一度も「亜脱臼」も「脱臼」もしなかった。だから治ったと思っていたのだが、15年後に再び小樽で「脱臼」した。手稲のS病院の件があったから、はじめさんは救急隊員に「きちんと整復できる病院へ運んでください」と頼んだ。最初に行った病院では出来ないようだったが、後でしっかり請求書だけは届いた。市立病院で整復してもらえたのだが、医師から「どういう手術だったか分からないけれど、今の時点では手術は難しい」と言われた。この時は右膝蓋骨脱臼と右足首を骨折して、右足に2つも装具を付けて大変だった!

みかこ

Share
Published by
みかこ