スポーツと無縁の生活を送っていたと書いたけれど、実はボウリングだけはやっていた。ジュニアの大会では女子だったこともあり(ハンディキャップが付くので)時々優勝した。20代の時は、所属ボウリング場のアマチュア選手で道内のボウリング場の大会に参加していた。所属センターの勧めで母と2人でチームを組んで、実業団の大会にも出た事があった。予選9ゲームもの大きな大会で大企業の中に「音楽教室」で参加してかなり浮いていたが、何故か母も私も絶好調で2位に300ピンも差をつけてダントツ1位通過したのだ。ただこのような体力の消費が激しいと翌日は膝が腫れて思うようにいかない事が多々あった。翌日の決勝戦は4ゲームだったがボロボロ。しかし貯金のお陰で優勝した。
ボウリングで亜脱臼したり脱臼したりという怪我は一度も無かった。2回目に小樽で脱臼した年の数ヶ月後には頑丈なサポーターを装着して再びボウリングをした。所属していた小樽のボウリング場が無くなったので地元で行なわれていた職場対抗などの大会に時々参加していた。全然強そうに見えないチームであったが、確実に入賞していた。それから暫くブランクがあり現在に至っているので、今後の事は分からない。ボウリングは膝に負担がかかるスポーツなのだ。担当の医師にも言われた。
春になったら、余市川をウォーキング出来るように目下リハビリ中である。階段は上がることは出来るが、下がるのは一段一段でないと怖くて降りられない。
フラッシュバックというのか、昨年9月に帯広の温泉の露天風呂で3回目の脱臼をした時の事を鮮明に覚えていて、スローモーションで何度も何度もあの瞬間の「膝が壊れていく感じ」、「壊れる音」が蘇って声を殺して悲鳴をあげていた。それは入院中も、しばらく続いていたが、今は見なくなった。
旅行が趣味なのに、温泉で怪我をしたというのがショックだった。そして、あの激痛がこれからも起きるかも知れないと思うと、暗い気持ちでいっぱいになった。救急車が到着して、はじめさんは「整復してくれる病院へお願いします」と救急隊員に告げた。救急車は帯広協会病院へと私を運んだ。
3回目の脱臼は整復に1時間くらいかかって、何度も激痛と戦って気が変になりそうだったが、あの時の若い医師をはじめスタッフの皆さんの「何としても元に戻す!」という気迫が伝わってきて、勇気づけられたし、ありがたかったです。ここでの経験が友人に伝わって親御さんが手術を受ける決心をしたのだそう。
整復は「亜脱臼」という形で収まった。それでも、痛みが嘘のようになくなるのだ。だから痛み止は処方されなかった。深夜だったが、車で余市まで帰ることを告げたら、若い医師は無茶するなぁという表情をしながらも、足を固定する枕木のようなのを足の形に合わせて作ってくれた。7年前の小樽で手術できないと言われたのとは真逆の手術を受けなくちゃ!という運びになった。
昨年11月10日に札幌医科大付属病院で手術を受けたわけだが、これからなのだと思う。担当のS先生は「脱臼することは、もうないでしょう」と、おっしゃってくれたし、勿論そうあって欲しいですけど。明日で術後2ヶ月を迎える。膝はけっこう腫れていて、動かした後は熱っぽくなったりもする。まだアイシングは必要なのだと思う。病院に通ってリハビリを受けているわけではないし、そんなに曲がらないので色々と心配です。右太ももの筋力が落ちているので、ステッパーに上がったり降りたり台の回りをリズミカルに動く体操を昨日から取り入れたところです。やはり汗をかくくらいの運動が出来るようになると気持ちも明るくなりますね。だんだん良くなるように頑張ろうと思う。