午後からグループ・レッスンだったのでブランチに野菜炒め。サービスで頂いた「ささげ」は、あまり調理した事がないけれど、緑が入ると見た目も良いですね。美味しかったです。
たまーにカップヌードルを食べますが、これは美味しかったです。198カロリーといのも嬉しいです。
お天気の良い日が続いていて暖房を入れていませんが、北側にあるレッスン室はヒンヤリと寒いので、電気ストーブとファンヒーターを入れています。お部屋が暖まったら消す程度の寒さです。
ショパンは「ピアンの詩人」から、ベートーヴェンは「楽聖」、モーツァルトは「神童」、生徒さんは答えられませんでしたが、バッハが「音楽の父」だというのは知っていました。ちなみに「音楽の母」はヘンデルですが、ヘンデルは女性ですか?という質問があって可笑しかったです。ヘンデルは男性ですが、バッハが「父」なのに対して「母」と呼ぶようになったのでしょうね。それにしても、男性なのに母と呼ぶのは確かに違和感があるなぁと思いました。
ウィキペディアで調べてみると、
”バッハは、1719年と1729年の2度にわたりヘンデルに面会を求めたが、最初はすれ違いになり、2度目はヘンデルが何らかの事情で面会を断ったために、同時代に活躍しながらも生涯出会うことはなかった。バッハが「音楽の父」と評されるのに対し、日本ではヘンデルを俗に「音楽の母」と呼ぶこともあるが、これは日本人がヘンデルをバッハと対等の存在として位置付ける意味で考案した呼び名であり、欧米にはこのような呼び名は存在しない。”
との事でした。生徒さんの素朴な質問でしたが、勉強になりました。(^-^)
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バッハのことを「音楽の父」と決めてしまったから、同時代の偉大な「ヘンデル」を「音楽の母」としてセットにした、というところなのでしょうね。
ただ、少し穿(うが)って見れば、これが逆だとやはり変ですね。
バッハの音楽はどれもこれも「神に対し失礼のないように、理知と意志がぶれない」姿勢に貫かれていますが、ヘンデルは感情表現の自在さを大切にしているのでその音楽は開放的で親しみやすい。バッハは苦手という方々は結構いますが、ヘンデルを嫌う人はそう多くはないでしょう。これって当時から現代まであまり変化してない傾向(であり今後も代わりそうにないの)とすれば「音楽の父と母」という命名を日本人はちょっぴり誇ってよいのではないでしょうか。付言:ヘンデル音楽のような女性や母が現実にいたとしたら、会ってみたいほど素晴らしいし、同じくそんな父母の下に生まれた子供はどんな優れものになるのか想像するだけでも楽しいじゃぁありませんか?!
ロリアン正岡さん、はじめまして。
確かに「音楽の父」や「音楽の母」とイメージすてみると親しみやすいですよね。この偉大な2人が同じ年に生まれたというのも何だか凄いことですよね。子供のころからピアノを習っている私にはバッハは身近でヘンデルの音楽はあまり詳しくはありません...。意外にも私はバッハが好きな子供でした。まぁ会ってみたい偉大な音楽家は多いです。でも、知らないでいた方が良い場合もあるかも知れませんね。