蒸し暑い日が続いています。昨夜はマーティン・スコセッシ監督の「沈黙 サイレンス」を観ました。文章からも衝撃を受けた拷問シーンは、映像で見せられると胸を抉られるような衝撃を受けました。
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分かっていても実際に目にするシーンは惨たらしものです。しかも3時間近くもある大作。ポーランドのアウシュヴィッツを訪れたときの感覚が蘇ります。観るには、それなりの覚悟が必要です。
1971版は日本映画でしたが、スコセッシ監督のは日本語が字幕です。日本の役者さんも数多く出演していますが、ほとんど英語なのです。
ピアノでは「転ぶ」というのは音の粒が揃わずに汚い演奏になってしまうときにいいますが、『沈黙』に出てくる「転ぶ」というのは棄教のこと。「踏み絵」が踏めずにキリシタンだとバレてしまう村人たち。止むを得ず踏んでも、ツバをかけられない人たち。それによって拷問を掛けられることになるのに。
惨たらしい拷問を掛けられるのに、それでも信仰を捨てられないのは、逆に考えると怖ろしいとも思いました。だから恐れられるのでしょう。ナチスがユダヤ人を迫害したのも宗教や文化の違いだったり、ユダヤ人が優秀だということもあったのかもしれません。
今朝の英会話のレッスンで、はじめさんはセルビアの女性の先生に映画の話をしたところ、先生は良い映画で、もう何度も観ているとのことでした。セルビアという国はつい最近まで戦争をしていた国で、先生の2人の兄が戦場に行ったそうです。(無事に生還)
クロアチアとセルビア人による対立「ユーゴスラビア紛争」は1991年から2001年まで続きました。そのため、国の至る所に戦争による傷跡が見られ暗いイメージを受けます。(映像を観たイメージ)
今度、映画『灼熱』を観てみたいと思いました。
『沈黙』1971版は武満徹さんの幻想的な音楽がバックに流れるのが印象的ですが、スコセッシ監督の作品は、波の音やセミの鳴き声から始まりました。それが唐突に聞こえなくなり、真っ暗になる。うまい演出だなぁと思いました。
そんなことを考えながら弾くピアノは、けっこう神経が研ぎ澄まされて調子が良かったように思います。そして、ピアノを弾ける環境にあるのは幸せだなと思いました。