ブラジルのピアニスト、ネルソン・フレイエさんが11月1日に亡くなっていたことを知りショックを受けました。2003年4月に東京の紀尾井ホールでピアノ・リサイタルを、同じ年の10月にキタラでアルゲリッチとのザ・ビッグ・ピアノ・デュオを聴きましたが、どちらの演奏会も素晴らしくて強く印象に残っています。
2003/ 4/ 15 Tue.
パンフレットによれば、”ネルソン・フレイエはピアノ界の秘蔵品ともいえる存在。 「指の一本一本に小さな脳がある」ほど音楽を知っていて「呼吸するのと同じくらい自然にピアノを弾く」大ピアニスト” だとか。録音は驚くほど少ないとのことですが、ソロとアルゲリッチとのデュオが入っているLDを持っています。
あのアルゲリッチとピアニスト同士のコンビを組むのですから、興味津々でLDを聴いたものです。今回たまたま東京で聴ける機会を得ることができました。実は、プログラムに大幅な変更があり、少々気難しいピアニストなのかしらと思っていましたが、そんな印象は無く、とても幅のあるプログラム内容で面白かったです。
プログラムは、バッハのコラール前奏曲から厳かに始まりました。スケールが大きくて深い演奏です。続いてベートーヴェンのソナタ第31番。変イ長調の優しいハーモニーで叙情的な旋律が心地良く流れていきます。堂々たる第3楽章のフーガが、いかにもベートーヴェンらしく重厚です。それにしても、ミラクルとも言えるフォルテ!厚み、迫力がありながら、なお美しく響くそのフォルテは、実に小気味よく、いつまでも耳に残る演奏で、休憩中もついハミングしているくらいでした。
後半の最初はショパンのソナタ第3番。大好きな曲です。ショパンの曲にしては珍しいと言えるほどの激しさを持った終楽章は、何度聴いても興奮を覚えます。この日はたまたまショパン展へ出かけて、プレイエルの繊細な音や、ショパンの華奢な手を見たばかりでしたので、ピアノという楽器の進化と、それに伴って、また演奏者によって音楽がこうも幅広く自由に表現されるものなのかと、不思議な感動を覚えました。
すっかり興奮していた私ですが、ネルソン・フレイエさんは、さらりと次のグラナドスのゴイエスカスより名曲の「嘆き、または夜鳴うぐいす」に入りました。 この曲も大好きな曲ですので、「わ!置いて行かないで下さい」と気持ちが追いつくのに大変です。 やや速めのテンポで、あまり叙情的になりすぎない演奏が、かえって最後にナイチンゲールが美しく鳴く場面を際立てているようで素晴らしいなと思いました。
プログラムの最後は、アルベニスの「イベリア」より《エボカシオン》と《トゥリアーナ》。 民族的な色彩が色濃く、高度なテクニックを要求される華々しい曲です。ここでもリズムの切れが素晴らしくて、活気のあるリズムを堪能させて頂きました。そして、アンコールは第3部とも言えるくらいの内容で、曲調ががらっと違った曲を5曲も演奏してくださいました! この曲は!何?とほとんどの人が思ったに違いない面白い曲が続出。 そのうちの1曲はモンポウとすぐにわかったのですが、残り4曲は皆目見当がつかないまま、アンコールだという事も忘れて、ネルソン・フレイエさんの軽妙な演奏に引き込まれてしまいました。
会場全体がすっかり興奮していて、あんなに熱狂的になる日本人を初めて見ました。素晴らしい演奏への賛辞と、とにかくステージにネルソン・フレイエさんを呼びたいという気持ちがひとつになって、みんな手が真っ赤になるほど、拍手していたようでした。 コンサート終了後、アンコール曲の曲名を知りたくて、しばらくの間ロビーに待っていた人が大勢居ました。 ようやく張り出された曲目は、グルックの「メロディー」と、お国のブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスの「赤ちゃんの一族」という曲集からでした。 賑やかで元気な赤ちゃんだったなとタイトルを見て笑ってしまいました。
秋に、札幌でアルゲリッチさんとのデュオを聴けるのが今から待ち遠しいです。
2003/ 10/22 Wed.
常に世界から注目されているピアニスト、アルゲリッチと、「静かなる偉大な巨匠」と呼ばれるフレイエの待望のデュオ。アルゲリッチは昨年のPMFで、フレイエは今年の春に東京公演でソロ演奏を聴いてきたばかりですが、終生の親友と認め合っていらっしゃるお二人の、息の合ったデュオコンサートをキタラで堪能できるという事で、とても楽しみでした。
お二人ともかなり若い時の演奏ですが、LDを1枚持っています。 その演奏も素晴らしいものですが、更に円熟味を増したお二人のステージは、まさに豪華!ではありましたが、印象としては、アットホームなコンサートで、とにかく楽しかったです。 これだけの曲目にもかかわらず、和やかとも言える雰囲気を感じさせるのは、やはりお二人の力量と親密さのなせる技なのでしょうね。
プログラムの始めは、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」から。「聖アントーニのコラール」と題された旋律は暖かく、つい口ずさみたくなるような感じ。円熟期のブラームスの傑作と言われている作品が、息がぴったり、以心伝心の神業デュオで奏でられました。 続いてラフマニノフの組曲第2番。2台のピアノならではのダイナミックでスリリングなスピード感に圧倒されます。随所にラフマニノフ節が流れ、ロマンの香り高い曲でした。
20分の休憩を挟み、第1ピアノがフレイエに代わりました。後半の1曲目は、ルトスワフスキの「パガニーニの主題による変奏曲」です。 私の席は、第1ピアノの手の動きが見える席でしたので嬉しかったです。 それにしてもフレイエさんの神業のような手の動きには相変わらず驚きます。 鋭いリズムの激しい曲で、打楽器のような奏法があったりと、目が離せず、あっという間に曲が終わってしまったという感じがしました。
ここで、第1ピアノ側にコンサート用の横に長いイスが縦に2つ並べられて、あらっと思いました。こういう椅子の配置は初めて見ましたが、続くシューベルトの「ロンド イ長調」は、2台ではなく、連弾の曲だったのでした。大ピアニストの連弾って、まるで、シュークリームとエクレアが一つのお皿に並んでいるみたい。見ているだけでとっても贅沢な気分です。ここではプリモがフレイエ、セカンドはアルゲリッチ。清らかで優美なロンドでした。
最後の音を弾くと同時にフレイエさんが「くしゅん!」と咳をしてアルゲリッチに謝っていたのが、可愛らしかったです。会場のお客さんからテッシュか喉あめのようなものが手渡されていましたよ。
最後はラヴェルの「ラ・ヴァルス」です。ピアノソロでもオーケストラでも聴いていますが、デュオは初めてです。楽譜の冒頭には「渦巻く雲の切れ目から、ワルツを踊る大勢の人々が垣間見える 雲が徐々に晴れると、そこには旋回する人々であふれた大広間。舞台はやがて明るくなり、シャンデリアがffで光り輝く。1855年頃の宮廷」と書かれているそうです。
グリッサンドが効果的に用いられ、美しくかつ迫力のある効果をもたらしていました。 オーケストラの魔術師ラヴェルならではの豪華な曲に酔いしれました。そして、アンコールは、なんと5曲も演奏してくださったのです! ラヴェルの「マ・メールロワ」の東洋的な響き、チャイコフスキーのくるみ割り人形から「こんぺい糖の精の踊り」は魔法のように美しかったです。 どれほど心が通じたら、このような演奏になるのかと思わせる素晴らしいデュオに、とても暖かな気持ちにさせてもらいました。
紀尾井ホールには何回か行きましたが、フレイエさんのリサイタルが初めてのときでした。席は横の一番前で、フレイエさんが登場するのが間近で見れました。チケットを取るのが遅かったのもあり、横の席は心配でしたが、はじめさんが凄く喜んで、お客さんも大興奮だったのを覚えています。
アンコールに演奏されたモンポウの「庭の乙女」が、聞き間違えたのか「岩の乙女」とロビーに張り出されていたのが、可笑しかったです。それと、リサイタルの前に時間が無くて、駅そばの「立ち蕎麦」を食べたのですが、これがとても美味しかった。
先日のショパン・コンクールでは審査員をアルゲリッチと共に辞退されたと番組を観ているときに聞いていましたが、2019年に自宅で転倒して頭を打ってからステージに戻ることがなかったと知りました..。
ご冥福をお祈りします。