子供の頃、当時習っていたピアノの先生の教室で、ツェルニー30番、40番、ソナチネ、ソナタアルバムなど教本のお手本演奏として、よく聴いたのはクリストフ・エッシェンバッハの演奏でした。
そんなマエストロが1977年にキタラが完成したときに、PMFの芸術監督として来道されました。更に大ファンのアンドレ・ワッツも1997年のPMF参加アーティストとして同行され、私は歓喜した。
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ポーランドのブロツワフは「小人が住んでいる街」といわれ、街のあちらこちらに小人像が設置されていて、とても可愛い街でした。3食付きで、いつもお腹がいっぱいのツアーでしたが、唯一、入ったお店がブロツワフのスタバでした。
この可愛い街に生まれたエッシェンバッハは、母は出産と引き換えに亡くなり、父はナチスの懲罰部隊に入れられ戦闘で亡くなり、6歳の時にピアニスト・歌手・音楽教師だった叔母さんに引き取られたそうです。その時に、叔母さんからピアノを演奏したいかと聞かれ、即答し叔母さんからピアノを学んだといいます。
昨夜放送されたクラシック音楽館では、若き日のエッシェンバッハにインタビューしたのはピアニストの井内澄子さんでした。
エッシェンバッハは「ピアノが凄く好きだ」と叔母さんに伝え、今に至っているのですね。
PMFの創設者であるレナード・バーンスタイン。第1回の1990年の夏の暑い日に遠くから聴くことができました。そして、その年の秋に亡くなりました。
キタラが完成したのは1997年ですが、その年のPMF芸術監督にクリストフ・エッシェンバッハが就任され、アンドレ・ワッツとリストのピアノコンチェルト第2番の演奏が聴けました。キタラではワッツのソロリサイタルもあり、キタラで初めて聴いたピアノリサイタルがワッツであったことが本当に嬉しかった。
ワッツはバーンスタインによって見出されたピアニスト。子供の頃からの大ファンで、夢のようなことが起こったことに震えました。
キタラで聴いたエッシェンバッハのマーラー5番。インバル指揮の4番&5番がお気に入りいでしたが、生演奏で聴いて感動しました。キタラの音響は本当に素晴らしいと思いました。
有名な写真家である木之下 晃さんの写真集に掲載されたピクニックコンサートの写真。
キタラで聴いた翌日は芸術の森に出掛け、椅子席の1列目でマエストロのマーラー5番を聴きました。白いタキシードから汗がポタポタと落ちて、とても心配しながら聴き入っていました。ワッツとのリストのコンチェルトも同時に聴けて最高の想い出です。
2週連続でクラシック音楽館でエッシェンバッハの演奏が取り上げられました。昨夜はマーラーの5番と若き日のモーツァルトピアノ協奏曲21番の弾き振りで、もうかぶりついて聴きました。
第5番は第5楽章まである大作。
●第1楽章と第2楽章が第Ⅰ部
●第3楽章が第Ⅱ部
●第4楽章と第5楽章が第Ⅲ部
というように3つの構成に分けるようにマーラー自身が指示したといいます。緩急の楽章を組ませているのが興味深いです。
第4楽章の有名な「アダージェット」も大好きですが、私はトランペットから入る第1楽章が堪らなく好きで、毎回聴くたびに鳥肌が立ちます。
昨夜の録画は永久保存版となりそうです。何度もじっくり聴き返せるのが嬉しい。
82歳のエッシェンバッハは、歳をとりましたが、1977年のマーラーよりも一段と深みが増した演奏でした。やっぱりエッシェンバッハは凄い!
いつまでもお元気で、これからもご活躍してください。