2023年4月30日(日)13:30開演
札幌コンサートホール kitara 小ホール
ピアノ:舘野 泉
ヴァイオリン:ヤンネ舘野
ヴィオラ:安達真理
チェロ:矢口里菜子
コントラバス:長谷川順子
●ウルマス・シサスク:組曲「エイヴェレの星たち」より第2曲「エイヴェレの惑星」Op.142-2
●J.S.バッハ(ブラームス編):シャコンヌ
●W.A.モーツァルト(光永浩一郎編):「女ほど素敵なものはない」による8つの変奏曲K.613 ヘ長調
(シャックの「愚かな庭師」のリート)
intermission
●平野一郎:鬼の学校 左手のピアノと弦楽の為の教育的五重奏(舘野 泉に捧げる/委託作・初演)
a:登校、もしくは始め方
Ⅰ:基礎科目
1限)そろえ方
2限)かぞえ方
3限)つづり方
A:運動(と悪戯)
Ⅱ:教養科目
4限)ふるまい方
5限)たしなみ方
6限)なりすまし方
B:給食(と転寝)
Ⅲ:実践科目
7弦)ぬすみ方
8限)ゆすり方
9限)だしぬき方
C:掃除(と喧嘩)
Ⅳ:生存科目
10限)たたかい方
11限)にげ方
12限)かくれ方
X:放課後の鬼生訓
w:下校、もしくは終わり方
encore
●草川信:夕焼け小焼け
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目次
舘野 泉さんは母と同い年。母も今月で87歳になりますので、来年は米寿なのかと思いました。それにしても、90歳までスケジュールが決まっているというのは驚きです。
舘野先生のコンサートはずっと以前から自由席ですが、今日は小ホールが満席になるとアナウンスがありました。年配の方が長い時間、立ちっぱなしで待ち、席を探して回るのは大変なことなので、できれば次のコンサートから指定席にしてもらえることを願っています。
会場で座っていると、来賓席が1席だけ設けられていました。どなたが見えるのかと思いきや、「鬼の学校」の作曲者である平野一郎氏でした。
エストニアの作曲家ウルマス・シサスクが昨年の12月に帰らぬ人となったと聞きました。彼は人と話すことより天体望遠鏡で宇宙と話してきたそうです。第1曲は、しっかりと力強いメロディと無限の彼方まで響いていくような伴奏が言葉にならないほどの美しいバランスで、うっとりしました。とても左手だけで演奏しているように思えなかったです。
この後です。3月から4月にかけてヘルシンキのご自宅に戻ったことをお聞きして、マリアさんが亡くなったことを知りました。プログラムではマグヌッソンの「左手のためのピアノ・ソナタ」になっていましたが、マリアさんのために大好きだったバッハの「シャコンヌを弾かせてください」とアナウンスされました。
第一部の最後はモーツァルトの「女ほど素敵なものはない」で、だいぶ以前に舘野先生の両手での演奏を聴いたことがあります。今回はチェロと左手のピアノで8つの変奏曲を楽しめました。
TVで観たときは、どんな曲なのか全体像は分かりませんでしたが、プログラムを見ると実に面白い。まるで台本のようです。「鬼の学校」では鬼の先生が若い鬼の生徒たちに生きる知恵を教える音楽なのです。
老境に達した酒呑童子先生の教えを受ける鬼の生徒たち。凄まじい不況和音と複雑なリズムで賑やかに演奏されました。指揮者も居ないのに一体どうやって合わせたのだろうと、はじめさんは不思議でならないといいます。やはり、ご子息のヤンネさんと先生の阿吽の呼吸があってこそなのだろうと思いました。勿論、他の楽器の方々も抜群に上手かったです。
時折、先生がバシッと緊張感半端ない低音の音を鳴らすと、こちらもハッとさせられました。鬼の授業はとても長く、TV放送では「この曲を弾くと、とても体力が消耗する」とおっしゃっていました。来年、米寿を迎える方がこの壮大な曲を若者たちと一緒に、いや若い生徒たちをグイグイ引っ張っていくのですから、アッパレでした。
作曲者の平野氏がステージ上に呼ばれ、何度も6人でステージに登場してくれました。舘野先生は車椅子です。車椅子に乗っているときはお爺さんなのですが、一度ピアノに向かうとピアニストの顔になる。20代後半からずっと聴いてきましたが、両手で弾いていた頃と左手だけで弾いている今も先生のピアノは変わらないのだと思いました。
力尽きているはずなのに、車椅子でのお迎えの方を控えに帰して「もう1曲」と合図。最後の曲は「夕焼け小焼け」。もう両手でもあのような演奏は出来ないと思うくらい、美しい世界が広がって、会場のだれもが涙を流したことでしょう。今日のコンサートはよく泣いたなぁ。マスクをしていて良かった。
演奏が終わるとニコニコの笑顔でお客さんにバイバイ、またねという仕草でお別れしました。とてもチャーミングな鬼の先生でした。