ピアノを勉強していくためには、声楽
勉強も必要だということで、高1の11月から声楽を習う事になった。一つ上の先輩に連れられて先生のお宅を訪れた。
先輩は歌科を目指していたので、とても上手だった。私はというと、必要に迫られて習っていたようなところがあった。土曜日の授業を終えて、午後からJRで札幌まで通っていたが、レッスンに来る時は絶対に寝てはいけない。それと、地下鉄では座ってはいけない。と先生に言われた。寝てしまうと、喉も寝てしまい、発声に差し支えるのと、地下鉄で立つのは下半身を鍛えるだめだとか。
私は歌っているのを家族に聴かれるのが嫌で嫌で、小さい声で練習したり、あまり練習しないで先生のお宅に行ったこともあった。当然、練習不足で怪しげな音程になり、先生にシビアに怒られた。
何のために札幌まで通っているのか?仕方がないから?義務なのか?そんな事を考えさせられたし、先生にはとても失礼な事をしたと反省し、心を入れ替えてレッスンを受けるようになった。トレーニングすると無理だと思っていた高い音も出るようになり、自分でも驚いたのと、少しずつ楽しくなっていった。
受験が近づいた時、練習のために発表会に出るように言われた。これは逃げ出したいくらい嫌だった。しかし、試験で歌わなくてはいけないので諦めて参加する事になった。曲はイタリア歌曲集から試験で歌う第一候補の「あなたへの愛を捨てることは/Lasciar d’amarti」と第2候補の「たとえつれなくとも/Sebben,crudele」。
歌詞の意味などほとんど気にせずに歌っていたけれど、知っていたらかなり恥ずかしい、いやいや、心を込めて歌えたのかもと思った。(^^;
発表会の日、待っている時間は地獄のようだった。ついに私の出番となりステージに出ていく。ピアノ独奏と違ってお辞儀をしたら、そのままお客さんの正面に立つ。マイク無しで声が届くのだろうか。不安でいっぱいだった。伴奏が始まり、私は緊張のあまり、うわずって冒頭の音を半音高く歌ってしまった。
幸い次の音で戻ったものの、袖にいらした先生も驚かれたようだ。しかし、発表会後のレッスンでも同じ現象が起こり、「あなたへの愛を捨てることは」を試験で歌うのは危険だという事になり、却下。「たとえつれなくとも」に決まった。
受験の日は、風邪気味で鼻声だった。選択曲で「たとえつれなくとも」を歌う人が多かった。伴奏のテンポがとても遅くて、呼吸が持つだろかと不安だった。しかし、テンポが遅かったために、振り絞るように声を出し、皮肉にもそれが曲の感情表現に繋がったようなのだ。
前に歌った人に「とても情感がこもっていた」と言われてびっくりしたのだ。お互いに受験生なのに人を褒めるその心が、余裕が私には持ち合わせていなかった。そして、今思えば、何故もっと深く勉強しなかったのだろうと後悔している。この曲は生涯忘れないと思う。
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Sebben,crudele たとえあなたがつれなくて
mi fai languir, 私を窶れさせようとも、
sempre fedele 私はいつも変わらぬ心で
ti voglio amar. あなたを愛していたい
Con la lunghezza 愛が永く
del mio servir あなたに仕えることにより、
la tua fierezza あなたのつれなさを
sapro stancar. 弱めることができるだろう