アイロンがけをしている時、ふと小学校の友達Uの事を思い出した。Uは周りの女の子とかなり違い、思った事をズケズケ言うタイプで、ボーイッシュで、勉強が出来る子だった。私もどちらかというとボーイッシュで群れるのが苦手。女の子に多い、いつも一緒にどこどこへ行きましょうというのが嫌いだった。だから「そんなの一人で行ってきなさいよ」と言えるUが好きだった。小4の時、Uの家に遊びに行くとはピアノが在った!私はレッスンの時に出された「エリーゼのために」を練習するのには家のオルガンでは鍵盤が足りなかったので、嬉しくて、Uのピアノを弾かせてもらっているうちに、すっかりUと遊ぶのを忘れて練習してしまった事があった。Uは「はい、今日はそこまでね」と言って蓋を閉めた。そんな事を思い出した。私もレッスンで小さい子が、先生のお話を聞かずにピアノを鳴らす事に夢中になってしまったら、Uと同じように「はい、そこまでね。蓋を閉めますよ」と言うようにしている。
小6の時、Uと同じクラスだった時、クラスでも人気のあるKと3人で児童会3役になった。Kは何でも出来る天才男子で、クラスで合奏するそれぞれの楽器のパート譜をスラスラと書いたり、もちろん勉強もできて、ピアノも弾けた。ピアノが弾ける人が少なかった時代に、私たち3人は、たまたまピアノを習っている事もあって、意気投合した。それと、Uはファーストネームではなく苗字なのだが、そう、私たちは苗字でお互いを呼んでいた。3人の苗字の最初の文字がシリトリのように繋がるので、それも何だか同盟のような感じがしたのだ。
ある日の授業で、先生が黒板に書いた答えに、Kが「違う」と言って抗議した事があった。先生は答えを知っているから、黒板に書いたのが正しかったのだろうと思うが、休み時間にKは黒板の答えを消して、自分が正しいと思った彼の答えを書いた。次の時間に先生がそれを見て烈火のごとく怒った。私がピアノ講師に成り立ての頃に、レッスンを終えて古平から帰宅するバスで時々一緒になった小6の担任の先生とその頃の話をした。「先生、よくそんな事を覚えていますね」と私は驚いたが、先生にはかなり強烈にKの事が印象に残っているようだった。Kとは中学の時に転向してから会っていないが、先生はKが優秀な大学を経て海外へ行ったとか、そんなところまで存じているようだった。
大人の生徒さんから小学生のクラス会が時々あると楽しそうに聞いたが、私は大人になってからの彼らを知らない。UもKもどんな大人になったのだろう。