今月号の教室の新聞の紹介で、男の子は将来は学者になりたいと言っていたが、学者というと、義父のお兄さんを思い浮かべる。兄弟が多かったので、兄弟の中で優秀な人が大学に行き、そして学者になったと聞いた。その娘さんは、はじめさんと同い年の従姉妹なのだが、私たちが結婚した頃、Sちゃんは、ずっとイギリスに行ったままだと聞いた。何年か経って、そのSちゃんが帰ってきた。やはり学者。東大の教授である。伯父さんは、苦労して学者になったと聞いたが、Sちゃんは若いのに凄い人だ。

義父の家は横浜にあり、伯父さんの家も離れているけれど横浜だった。たまたま私たちが、横浜に滞在していた時、お呼ばれした事があった。学者一家のお宅に招かれたのは、緊張したが、会話が楽しくて、長居してしまった。一番面白かったのは、ある葬儀の席での、まだ小さかった はじめさんの言動であった。それは、故人の経歴を皆さんにお話する場面で、急に言葉が出なくなって、シーンとなってしまったというのだ。焦った感じが伝わってくるし、みんなでどうしたものかと思っていたところに、小さいはじめさんは、「それから?」と通る声で、その人に言ったのだとか。それを教えてくれたのは伯母さんだったけれど、場が場だけに、笑いを堪えるのが大変だったとか。はじめさんは全く覚えていないと言うけれど、この話は情景が目に浮かんで、Sちゃんと私は笑い転げた。小さい時から、そうだったのかと思ったからだ。

久しく横浜に行っていない。義父が元気だった頃は、よく遊びに行ったものだが、なかなか行けないでいる。先日、アド街ック天国で「横浜中華街」を取り上げていたので観たが、懐かしいお店が出てきて行きたくなった。大きなスーパーのようなお店に「湯葉ハム」という珍味があり、私はこれが大好物で、行くと必ず買ったものだ。もう何年も前になるけれど、2つ買って横浜の実家の冷蔵庫に入れたまま、忘れてきてしまった事があって、それからずっと食べていない。あれは本当に悔しかった。

みかこ