1996年2月11日はフィンランド最終日。午前中は自由行動で皆でロックチャーチルへ行く事に。テンペリアウキオ教会にやって来ました。大岩をくりぬいた中に作られている珍しい建物です。ヘルシンキの人気の観光スポットになっているようです。中に入ると厳かでした。しばし独りの時間に浸っていました。
夕方、フィンランドからスウェーデンへ渡る豪華客船シリアラインに乗車。私たちが乗ったのは「セレナーデ号」。氷の海を渡ります。
乗船の時に写真を撮られましたが、なかなかよく映っていたので記念に買いました。船の中はまるで街のようにお店がいっぱいでした。夕食はスモーガスボード。豪華なお料理!いったいどこまでお料理が続いているのかしらと思いました。一番気に入ったのはレッドキャビア。玉ねぎとサワークリームが付いています。これを頂くとマリアさんの事を思い出しました。おなかがいっぱいでデザートまでいけませんでしたが、この30分後に2次会があり、皆で13Fのバーへ繰り出しました。カクテルとビールを飲みました。サウナにも入りたかったなぁ。残念。
プロムナードで「アーリッカ」のお店に入り、またいっぱいお買い物をしました。全部欲しくなるくらい可愛くて素敵なんだもの。
1996年2月12日。スウェーデンに着きました。ストックホルムの市内観光でガムラスタン、王宮、市庁舎、カクネス塔などを見学しました。
バーサー号博物館です。この見学の後バスに乗ったとき、ガイドさんから「北海道から参加の方は、いらっしゃいますか?」と聞かれました。北海道のどこかでトンネルの崩落事故があったという事を聞きました。詳しい事は何も分からなかったので、はじめさんも私も旅を満喫しました。スウェーデンはフィンランドより都会的でした。建物は壮大で、まるでガリバーの国に来たように感じました。
ストックホルムの「レソ レンゲル プラザ」に宿泊。明るい配色のホテルでした。 ホテルに到着してから2人でNKデパートへ行きました。ここでも木で作られた可愛いチューリップの置物を2つ買いました。夕食前だというのに、はじめさんはケーキをたくさん買って、冷蔵庫もないので1個半食べました。(^^; 最後の晩餐は皆でタクシーに乗って市内のレストランへ。タクシーの運転手によっては、観光客だと分かると、わざと遠回りしたりするようです。私たちの乗ったタクシーは工事現場へ行ってしまいました。明日は帰国なので荷物の整理をして、はじめさんは早く寝てしまいましたが、私はTVでも見てみようと思いました。ちょうど日本語でニュース番組が放送されていました。しかも、見たことがある映像でした。ニュースキャスターは、しきりに「余市側」とか「古平側」とか言っています。トンネルの崩落現場だったのです!ガイドさんが言っていた北海道の事故が、まさか地元だったなんて…。豊浜トンネルは、母が仕事で毎日通るトンネルで、私も古平に週に1度レッスンに通っていて、古平からも生徒さんが来ています。比較的、新しいトンネルなのに崩落ってどういうことなのか。頭が真っ白になり、はじめさんを起こして家に国際電話しました。日本時間は朝8時頃でしたが、母が出てホッとしました。バスと車が一台トンネルの中に埋まったままだという事ですが、かなり絶望的だという事でした。でも、生徒さんは無事だと知りました。事故は2月10日の午前8時10分頃に起きて、母が現場に10時頃着いた時は通行手来ませんと案内があったそうです。
1996年2月13日。朝もNHKのニュースを見ていた。朝刊でトンネルの中で押しつぶされたバスの写真を見て絶句しました。事故は10日に起きたけれど、どうする事も出来ないので旅行の最終日に分かって良かったのかも知れません。しかし、帰りの約10時間のフライトは切なかった。日本に帰ったら大騒ぎになっているだろう。ドライシェリーを飲みながら窓側の席からオーロラが見えた。ちょうど日本からオーロラを見るツアーに参加した女の子たちが乗っていて、ラップランドでマイナス33度の中を3時間も待っていたけれど見えなかったという話を聞いた。私たちは今、飛行機の中からオーロラを見ているのだ。涙が出た。ツアーの皆さんとは成田で解散。東京は25度もあってフィンランド帰りの私たちには暑すぎました。1週間のフィンランド旅行。あまりにも素敵な事がいっぱいで、貴重な体験をさせてもらいました。事故の事は辛い出来事でしたが、もし、旅行に出かけなかったら事故発生の日にレッスンをしていただろうし、古平からバスに乗ってくる生徒さんが居たので神様が助けてくれたのかも知れないと思い感謝しました。