明日からワインが値上げになるというので、セコマでまとめ買いしてきました。コロナの影響で減税こそして欲しいのに楽しみのワインが増税とは…。こんな庶民いじめのような政策ではなく庶民のための政治をして欲しいものです。
目次
明日から10月ですね
午前中は先日の体験レッスンから即レッスン、特訓となった高3の生徒さんが張り切ってやってきました。今日は学校休みなのだそう。
ピアノも届いて特訓しているようです。ピアノは右手と左手が別々の動きになってくると難しいですよね。当たり前ですが、家での電子ピアノと教室のグランドピアノのタッチもだいぶ違うと感じるようです。
全員の感想文が集まった
午後から大人の生徒さんと6歳になったばかりの女の子のレッスン。大人になって再開された生徒さんは、発表会には出るのは躊躇っていたようですが、思い切って参加して大正解だったといいます。
どの生徒さんの感想文も面白かった!というコメントばかりでした。そして、今日は6歳の子に「せんせいだいすきだよ」とお手紙をもらって、ちょっとドキドキしました。よほど面白かったのか、自分の出番の録画だけではなく全部観たいといいます。しかし、2時間かかるので、出番のところだけ観てもらいました。
生徒を代表して感想文
はじめさんの感想文です。長文です。
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今年は何と言っても、COVID-19 の影響で、先生・生徒さん、公民館の方、発表会のスタッフから、写真屋さん、調律師さんと沢山の人が ”いつもと違う” 状況での発表会でしたが、まずは、無事に発表会が行えたことを喜び、そして皆さんの努力と工夫に感謝をしたいと思います。
私も、スタッフとして、また生徒のひとりとして発表会に参加させていただきましたが、いろいろと苦労した分、無事にやり終えた今、喜びもひとしおです。
コロナ禍では、生きる事だけでも大変になり、芸術が軽んじられがちですが、生きる事は単に命をつなぐ事では無いはずです。生物学的には種を存続させる事が本能としての目的かもしれませんが、人間には、個々の人生の意味というものが大切です。誤解を恐れずに言えば、生きることは人生を楽しむ事であり、人生を楽しむには、幸せを感じることが大切で、その幸せを生み出しているのが、愛や芸術だと私は思います。言い換えれば、優れた芸術は生きるモチベーションにとって最大の栄養だということです。
今年の曲は、ベートーヴェンの、ソナタ《悲愴》の第二楽章でした。ベートーヴェンは、楽聖と呼ばれていますが、ベートーヴェンの音楽に触れることは、まさに音楽の神髄に触れている様な気がして、音楽とは良いものだと心から感じられました。
例えば、メトロノームのテンポを少し落として、ペダルを踏まないで弾いてみるとわかるのですが、絶対にペダルを踏まなければならないところがほとんどありません。すべての音が両手の指の中に無駄なくきちんと収まっているのです。無理やりなところが無く、わかってくるほどに納得する、音楽的だけでなく、数学的に美しさをも感じるものになっています。
私はコンピューター技術者で、コンピュータのプログラムも優秀な人が作れば一種のアートだと常に感じているのですが、ベートーヴェンの音楽にもそういうものを感じています。文章であれ、音楽であれ、絵画であれ、あるいは建築物であれ、人間が生み出すものの中で本当に優れたものは、それに触れるものに感動を与える事ができ、それこそが芸術の本質ではないかと思うのです。
今年の目標は、そのベートーヴェンの音楽を精一杯楽しみ、そして演奏を通して、聴いてくださる皆様に、少しでも伝えられること。それを願って、練習をしました。また、演奏に際しては、緊張してめちゃくちゃにしてしまうより、テンポを落としてでも丁寧に演奏するように心がけました。発表会という場においては、自分の日ごろの練習の成果を発揮するという事も大切ですが、今の自分の最大が100%だとして、それを80%にしてでも、聴いてくださる方と一緒に音楽を ”楽しむ” ことを優先させたい思いました。
演奏の上で特に注意したことは、メロディーを大切にするということです。ピアノ演奏は、伴奏からハーモニーからメロディーまで、すべてひとりでこなさなければなりません。そして、時にメロディー以外の部分に技術的に難しい部分がありますので、そちらに意識が向きやすいのです。ですが、やはり一番大切なのはメロディーで、いくら伴奏やハーモニーがうまく弾けたとしても、メロディーが美しく歌えていなければ、美しい音楽にはなりません。ところが更に大変な事に、ピアノ演奏において、メロディーを担当するのは右手の小指や薬指といった動かしづらい指であることが少なく、逆に伴奏は親指であったりします。単純に言えば、小指の音を出して、親指の音を弱くする事ですから、結構大変なのです。そして、これは闇雲に何度も練習を繰り返せば上達できるというものでも無いという事を意味しています。
自分が演奏する曲を理解して、そのメロディーは何か、ハーモニーはどこか、伴奏はどこかを考える必要があります。そして、指は10本しかありませんから、同じ指があるときはメロディーを、ある時はハーモニーを奏でる事になるので、指や鍵盤だけに意識を集中させていては弾けません。歩くときに、いちいち右足や左足の動きを考えない様に、演奏中は、心の中で、メロディー、ハーモニー、伴奏を同時に鳴らして、それが頭を通して、指に伝達されて自然に鍵盤に伝わって、音になるというのが理想です。練習は、心の中の音が実際の音になる過程をスムーズにする為にするのであって、決して指を鍛えるだけのものでは無いと思っています。
音楽を表現すること
先生が、楽譜を見て弾く練習をするようにと言いますが、それも同じ意味で、音楽を知り、理解して演奏する様にという事だと理解しています。指を動かすことがピアノ演奏ではなく、音楽を表現することがピアノ演奏だからです。
反対に、発表会で暗譜で弾くのは、その時には、音楽が心の中に入ってしまっているから、見る必要が無いからですね。
必要が無いから見ないのであって、見て演奏してはいけないということでは無いはずです。特に長い曲や大人の生徒さんの演奏では楽譜を立てることも多いですが、それは悪いことでは無いはずです。大切なのは音楽を演奏できているかどうかですから。
優れた演奏家は初めて見る楽譜でさえ、瞬時にその音楽を理解し、感動的な演奏をされますが、コンピューターの様に楽譜を読み取って機械的に音を出していては出来ない事ですし、これはつまり、人前で演奏する時に楽譜を見る・見ないは演奏の良し悪しの本質ではないという事です。
普段弾けてる曲が発表会で緊張してうまく弾けない場合は、大きく2つのパターンがあると思います。 一つは、技術の問題ではなく、緊張で心の中の音楽を失ってしまって、頭や指まかせになってしまっている状態です。これでは指揮者の居ないオーケストラのようなもので、仮に曲の最後までいったとしても、演奏を楽しめたとは言えないでしょうし、聴いてくれた人に感動を与えることは難しいのではないかと思います。一方、緊張していて指が震えたりしても、心の中に音楽があって、それを表現しようという気持ちを持ち続けているのであれば、多少のミスはあったとしても、音楽としては良いものになるものと信じています。
音楽の大切さ素晴らしさを再発見
長くなりましたが、今年は特殊な状況であったからこそ、音楽の大切さ、素晴らしさ、そして、音楽を通しての人と人の繋がりなど、深く考える事が出来た年でもあったなぁと思いますし、一緒に音楽に触れているみなさんと、発表会という場を共有できたことを幸せに思います。
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