人となりを説明するのは意外と難しい / 母親と暮らした日々

11時10分前にに特養の施設に向かった。母が暮らしているホームの道路を隔てて向かい側に在るので、車で5分という場所で何よりも近いのがありがたい。

人となりをかなり詳しく聞かれた

面談は広いホールの中で行われ、スタッフの方々が忙しそう動いている様子が伺えました。私たちのところを通るスタッフの方々は丁寧にあいさつしてくれました。

母は3回引っ越しており、まずそれがいつなのかを聞かれて、おおよそでしか答えられなかった。

後で調べたら記録が出てきましたが、そこまで詳しく聞かれるとは思っていませんでした。

3回ほど入院をしましたが、それがいつだったか、何の病気だったか、どんな手術をしたかなどなど。ブログなどを調べたら分かると思いますが、3回目の入院は何が原因だったか思い出せませんでした。

11月末に電話で相談しましたが、空きが出たので、1月中に引っ越すことになりそうです。

それまでにやらなければならないことが色々あり、バタバタと忙しくなりそうです。それでも引っ越しが向かいというのは助かります。

母は教室の発表会をとても楽しみにしてくれて、いつもお洒落をして手伝ってくれました。

ピアノを聴くのは好きでしたが、すぐに「エリーゼのために」などを弾けるようになるわけではないと分かると諦めも早かった。

70歳までパンの移動販売で古平・美国、1週間に一度は積丹まで日曜日以外、祝日も毎日トラックを運転して仕事をしていました。

週に3回、古平までレッスンに行っていたので時々手伝いました。母も私も珠算をやっていたので、暗算が得意で異常に計算が早く、お客さんから「電卓母娘」といわれていました。

趣味はボウリング AVEは常に180以上!


趣味はボウリングで、私もやっていましたが、母には全然敵いませんでした。常に180以上のアベレージを誇り、全国大会にも行くほどの腕前。私はせいぜい165くらいのAVEでした。

全国職場対抗のボウリング大会に一度だけダブルスで参加して母のおかげで優勝したことがありました。

70歳でパンの移動販売を辞めて、なんとクロネコヤマトに就職希望を出したのには驚きでした。

「体力に自信あり」って…。力仕事なのに、まさか受かるとは思いませんでした。
この話を聞いて特養の方も相当驚かれていました。

健康で身体が丈夫な母が、まさかパーキンソン病になるとは…

一緒に住んでいたときは、病気なのかもわかりませんでした。

仕事を辞めてからTVの前に居ることが多く、あとは車で友だちの所へ出掛けていました。

もう少し散歩をしたり、30分でも歩くようにしていたら防げたのかもしれません。

時々は小旅行へ出掛けた

はじめさんも、母も私も、それぞれ忙しく生活していましたが、日曜日は富良野などへ行ったり、一泊旅行もしていました。

お洒落をしてお出掛けするのが母の楽しみでした。食べるのが好き、ビールやワインも大好きでした。

キタラや芸術の森でのコンサートにもよく出掛けた

演奏会も大好きで、熱心に音楽に耳を傾けていました。キタラにもよく出掛けたなぁ。

PMFは芸術の森で行われるピクニックコンサートがお気に入りでした。

積丹へ遊びに行ったとき、パンを大口で買ってくれるお得意さんのお店でうに丼をご馳走になった。

母は気さくな性格で漁師さんにも慕われ、パンを販売しに行くと、いつも持って行きなさいとお魚をいただいていました。

今まで住んでいたホームは個室で、TV・冷蔵庫・ベッドなどが置けましたが、特養では衣類も季節ごとに持ってきてくださいといわれました。

TVや冷蔵庫も置けないようです。冷蔵庫どうしよう…

こうしてみると結構、あちこちへ出掛けていたのだなぁと思いますが、ほんの一部なのです。

チロルの湯に宿泊したとき。部屋食でした。

色違いのお揃いで揃えるのがすきでした



ボウリングのユニフォームもお揃いの色違いで揃えていました。これはお揃いの色違いのコート。軽くて今でもお気に入りです。

さて、今月末の引っ越しに向けて、明日はまず役場へ行って書類を提出してきます。

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