今日は雨の予報だったので、一昨日と昨日の天気の良い日がお墓参りのピークだったのかもしれません。暑い日が続いています。昨日、運動公園の帰りに林檎屋さんで茹でキビ小を5個買った。なんと100円のアスパラは肉巻きにしてみると凄く美味しくて、親戚が来た時に作ろうと思いました。
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高速道路が出来て札幌が近くなった
一昨日と昨日は高速道路がとても混んでいたので、札幌から来る従妹にそれを伝えたところ、今日はスムーズに来られて、なんと9時過ぎに到着したといいます。10時過ぎの到着を予想していたので、我が家の位置を確認してから、町内巡りをして時間を費やしてくれたそうです。
その頃、我々は昼食の準備に追われ、私は彩り野菜サラダを大小と作っていました。はじめさんは昨日試したアスパラの肉巻きに苦戦しているようでした。昨日のお肉と大きさが違って、アスパラに巻きにくかったのだとか。それにしても、林檎屋さんで100円のアスパラを買うたびに「薄い豚肉で肉巻きにすると美味しい」と毎回教えてもらっていましたが、初めて食べてみました。確かにメチャクチャ美味しかったです。
母の新盆に墓所を返した
大好きな叔母が50代で早くに亡くなった。私は幼稚園にあがる前に叔母にべったりで、岩内の祖父母の家で叔母と一緒に暮らしていた。従妹の3姉妹は、早すぎる叔母の死に深い悲しみを味わったはずだ…。
兄妹が多い中、母は叔母と似ていて、おっとりとした性格。別の2人の姉妹は、はっきりと物を申すタイプだ。
母が生きていたら、毎年発生する墓所のお金を今年も支払うだろうと思っていた。しかし、我々が年老いたら墓はどうすることも出来ないことを知っていたので重荷だった。誰も入っていない墓所は3月に母が亡くなってから返却した。
2台の車で我が家から10分程のお寺に向かった。お墓参りは一大イベントである。そして、決まって暑い。汗ダラダラの中、草むしりやら、お決まりの甘いお菓子や赤飯、お花を供える。供えた物はカラスに食い散らされるので、すぐに撤収。それなのに、シュワルツネッガーのような叔父は、今年も大量の甘いお菓子を買って、それを全部我が家に押し付けるのだ。来年は減らして欲しい。
炊飯器で作るパエリアに感動
親戚が大勢集まったら何を作ったら良いのだろうと悩んだ。コロナ禍前の叔父夫婦の家では、毎年豪華なお寿司&雲丹やアワビに大きなメロンと大変豪華なものだった。しかし、それはとても真似できないので、我々に出来るブッフェのような形にしたいと思った。
スーパーでパエリアの素が見当たらなかったので、はじめさんは炊飯器で炊ける、しかも全て具が揃ったパエリアを購入した。これにシーフードミックスを足して豪華にした。
お墓から帰宅して家に入った途端に魚介のイイ匂いが漂っていて、メッチャお腹が空いた。しかし、我々は帰宅してから台所で料理を作りまくり出しまくり、なかなか食べることができなかった。それでも、「美味しい」と言ってくれるのは嬉しい。中でも好評だったのは朝作った彩りサラダだった。「サフランドール」や「がんがら」のサラダを参考にさせてもらいました。
我が家で初の親戚の集い
焼き鳥は、当初は私の担当であったが、刺身をカットしたり皿に盛り付けたり、9人分の皿や様々な物を用意するだけで天手古舞となり、従妹に焼き係を担当してもらった。私が焼くより遥かに上手いので結果オーライだった。ドライバーでもあったので、今回は一番大変だったと思う。ワカちゃん、どうもありがとう!
9人でも、なんとか食事が出来て良かった。「おうち焼き鳥は」クーラーが全く効いていないかのように暑かった。それだけ外が暑かったということです。
3姉妹はレッスン室に興味があるようでした。せっかくなので発表会で、はじめさんと演奏する「くるみ割り人形」から『珈琲の踊り』を弾かせてもらうことにした。これがかなり緊張するではないか….!
それにしても、若い時に叔母が亡くなって、どれだけ3姉妹で支え合って強く生きてこられたのだろうと思う。はじめさんも大学生のとき、弟のヒロシ君は高校受験の前に母親を亡くしているから、その辛さはよく分かるという。もっと話しておけばよかったと。
母はやはり最高の晴れ女
私は母とボウリングをしたし、よく旅行やコンサートにも行った。87歳までけっこう母と関りが強かったと思う。
今日は「雨」の天気予報だったこともあり道路も空いていたし、親戚一同がお帰りになるまで雨が降らなかったし、お墓参りもラクだった。
賑やかなことが好きな母が今年は多くの人を我が家に招いているような気がする。久しぶりに親戚の皆さんに会うことができたのは母のお蔭なのかもしれません。
お墓参りは暑くて大変だけれども、毎年の一大イベントになっても良いと思う。また、来年も是非お越しください。
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