ここのところ、土日もレッスンが入ってなかなか車旅にも出かけられずにいるが、もうすぐ余市祭り。そう、お祭りの日はレッスンにならないので、毎年お休みにしている。ということで、明日のレッスンが終わってから今年初の車旅の予定を立てた。6月に道東の友達が経営しているペンションへ行く予定だったが、これは秋になりそうだ。
今日は、暑くてレッスン室のトップライトを少し開けてレッスンした。ダカンのカッコウを弾く生徒さんはカッコウの声を聞いたことがないと言っていたが、ちょうど練習している時にカッコウの声が飛び込んできた。「ほら、カッコウが鳴いているよ」と言うと、笑っていた。カッコウはまるで「こんな風に鳴くんだよ」と言いたげに何度もカッコウを繰り返していた。小2の生徒さんが弾くには、ちょっと難しい曲だと思う。コンクールの曲も短いけれど4曲あり、この級だけ決勝では更にバイエルも弾くので計5曲勉強しなくちゃならないのだが、発表会の曲と平行して練習するのは容易ではないと思う。
負けず嫌いの子は、出来ないと腹を立てて泣いたり、ものに八つ当たりするようだが、ピアノの練習は、どうしたら弾けるようになるかの連続。弾けているつもりでも、崩れたり、つっかえたり、忘れたり。しかし、その度に腹が立ってピアノを叩きならしたりするというのは、それは練習を聞いている人(例えばお母さま)に対してのアピールで、要するに甘えである。レッスンで泣くのも甘えだと思う。「もしも誰も居なかったら、ピアノを叩いたり泣いたりするだろうか?」と聞いてみたら、「しないと思う」と笑っていた。練習は、通してばかりするものではないから、出来ないフレーズを何度も繰り返し弾いたり、試行錯誤して行うものだから、小さい子にとって練習を聞かれるというのは苦痛なのかも知れない。私が子供の頃、母親は練習を聞いたことは一度もなく、ただピアノの音が鳴っているというのは階下で知っていただろうと思うけれど、ある日あまりにも同じパッセージを繰り返し弾いていたら気が触れたと思ったのか、血相を変えて2階に上がってきた事があった。ちょっとやそっとの練習で、上手くなるなら苦労しないのだ。天才と呼ばれる人たちも、どれだけ練習している事か!だから「腹が立って」と、すぐ切れる前に、自分の練習の足りなさ、努力の足りなさを反省するべきなのだ。甘えからは何も生まれない。でも、練習を重ねても出来ないのだったら、ピアノ教室に来て先生に聞けばいいと思う。だから教室があるのだと思うし、習いに来るのだと私は思う。