生徒さんの感想文が集まりました。短い文章が多い中、はじめさんの論文のような感想文が届いたので、本人の了承を得て全文を掲載します。かなり長いです。お時間があったら読んでください。
わくわく感とわくわく感の共有
朝ドラのちむどんどんが終わってしまったが、ちむどんどんというタイトル通り、そのテーマはわくわく感だろう。
半世紀以上生きている者として言わせてもらえば、人生の選択の「なぜ」の答えは、難しい事をいわず、「わくわくするから」で良いと思う。
「なぜ音楽をするのか」の答えだって、「わくわくするから」で良いのだ。
「好きだから」でも良いけど、なぜ好きなの?と考えると、やっぱり「わくわくするから」になってしまう。
ときどき、こんなことを言う人がいる
「ピアノを一生懸命練習したって、ピアニストになれるわけではない」
「音楽では稼げない」
「自分は社長になりたいから、ピアノなんてやっている暇が無い」
「塾があって大変だからピアノを続けられない」
「入学したい学校のテストにピアノがあるからピアノを習ったけど、テストに受かったから、もうこれ以上は必要ない」
一方で、生活が大変だったり、仕事で忙しかったりするのに、将来音楽の道に進みたいというでも無いお子さんにピアノを習わせて、送り迎えもしてあげている親御さんも居れば、既に立派な職業についていたり、第二の人生を歩まれていて、これからピアノで稼ごうということでもなく、音楽を楽しまれている方もいらっしゃる。きっかけは学校のテストの為に習い始めたけど、やり始めたら面白くて、長く続けているという方もいらっしゃる。
理由を理屈で考えると、なぜの答えは見つからない場合があるけど、気持ちで考えれば、「わくわくするから」という明確な答えがそこにある。
その普段はあまり意識していないかもしれない「わくわく」を自覚できるチャンスが、グループレッスンだったり、お弾き初め会だったり、そして一番大きなチャンスが、発表会ではないだろうか。
発表会は理屈抜きで楽しめる場
江戸っ子の私にとっては、発表会は一種の「祭り」でもあって、理屈抜きで楽しめる場であり、自分の人生に音楽があって良かったと思う瞬間でもある。
私はIT技術者で仕事はそれなりに忙しく、また旅行やアウトドアが趣味なので、週末にはキャンプに行きたい派。特に6月から9月はアウトドアの季節でもあるが、発表会の準備などがあり、毎年、発表会前はでかけることができない。それでも発表会を優先しているのは、「わくわくする」から。妻がピアノ教師だからとか、生徒さんの為とかは理屈であって、一番は、自分がわくわくするからだ。
祭りがそうであるように、発表会にも様々な参加の仕方がある。演奏者として、オーディエンスとして、スタッフとして、それぞれの立ち位置があるのだが、我々の発表会は、関わっている人ほぼすべてが、多かれ少なかれ全部の立場で参加しているところが面白い。生徒さんは演奏者でもあり、オーディエンスでもあり、時にはスタッフでもあるし、生徒さんの親御さんもしかりだ。私も同じで、朝から発表会終了までスタッフとしてバタバタと動き回りながらも、自分の演奏を緊張しながらも楽しみ、そして他の生徒さんや先生の演奏を聴いて楽しんでいる。だから面白い。
これはどういうことかというと、「わくわく感は共有すると、無限に増大する」ということなのだ。自分がわくわくするから、それをする。しかし、自分と同じ様にわくわくしている人と一緒にすると、もっとわくわくするのだ。
家族でわくわくを共有できる場
教室では以前からも、組曲やハンドベルやコーラス、生徒さん三人の六手連弾などを発表会にとりいれているが、コロナ以降、「家族で音楽を楽しもう」というコーナーを充実させているようだ。もともとは、家族ならマスク無しで連弾できるし、一緒に練習する時間も持てるといったことが背景にあったはずだが、実はそれを遥かに超えた意味がある事に気付かされた。理屈で言えば、生徒さんが親御さんにピアノを教えるような形になることもあったり、親御さんがお子さんの成長ぶりを肌で感じる事になったりという事も言えるのだけど、つまるところ、家族でわくわくを共有できるということなのだと感じる。もちろん親子だけでなく、兄弟・姉妹の連弾も同じだろう。
そして、人生という大げさなことを言えば、人生の中で、わくわくを感じて生きている人、わくわく感を誰かと共有しているひと、その経験がある人は、その経験が無い人にくらべて、十分に魅力的なのだ。その人が魅力的だといことは、そのまわりに居る人を幸せにすることでもあり、「一緒に何かをすると楽しい」にもつながる。自分の仕事で言えば、コンピュータの仕事は個人プレイの様に思われている人もいるかもしれないが、実は完全にチームワークの仕事であり、どんなに優秀なエンジニアであっても、良いチームが無ければ素晴らしいものは開発出来ない世界でもある。良いチームとはなにか、それは技術的に優秀なエンジニアの集まりでは決して無く、わくわく感を共有できているチームかどうかにかかってくる。場(雰囲気)が悪いチームではすぐに否定的な意見が出てきて、先に進めなくなるのだが、わくわく感を共有できていれば、場の雰囲気も良くなり、それぞれのアイデアが出しやすく、お互いに認めならが最終的に良いものが目指せるものだ。
そういう良いチームで仕事をしていて思うことは、それぞれが違う人生、違う趣味を持っているけど、共通しているのは、何かにわくわくしていたり、そういう経験があったり、それをひとと共有することの面白さを知っている人が多いということに気付かされる。普段は仕事の話しかしない相手でも、ちょっと会議の合間に個人的な話になったりすると、面白い話が沢山飛び出してくるものだが、そういうときに、自分について何か語れるということは、とても素敵な事だ。
少なくとも、教室の生徒さんは、子供であっても大人であっても、年齢関係なく、今、魅力的な人であることは間違いない。私は教室で会うすべての生徒さんに、それぞれの魅力を感じるし、そのご家族もとても魅力的だ。
人生は楽しむためにある
人生は楽しむためにある。と言われる。でも楽しむってどういう事? それはわくわくすることであり、わくわくを共有することだと思う。社会状況が厳しくなりつつあって、いろいろな意味で迷子になってしまう人も増えているが、今こそ、自分のわくわく感を信じて、魅力的な人でありたいと思うし、それをもっともっと多くの人と共有していきたい。
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